2004.12.16

どうかご無事で。

イラクへ:
苫小牧市のカメラマン、出発 中止要請聞かず/毎日新聞・国際

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2004.06.24

邦人殺害の犯人さがしはどうなったのか?

勝谷誠彦チン。奥さんの帽子の状態と説明を聞くと、チミの××はでたらめだったぞ! 木田貴常

 橋田さん小川さんの殺害の犯人は、どうやら、日本人であることを確認して、なおかつ、何者かへの報告のために記録さえとっていたらしい。

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2004.05.31

自己責任パート2

 「今井君の手記を読んで」において、『自己責任を言う論理は、少なくとも「論理上」は正しい。』と書いた。読み返すと、じゃあ何のための論理か、というところには思いが至ってなかったようだ。少し考えたので追記する。

 橋田さん・小川さんの悲しい事件もあり、自己責任を巡る議論、あるいは山形浩生の責任論を巡る議論が広報部部室でも盛り上がっているが、数日アクセスしなかったし、割り込むのも難しいので、ROMと決め込んだ。

 部室では、危険を顧みずに飛び込み、とらわれの身となった3人ないし5人によって、救出費用等々の社会的リソースが減少させられるのが許せない、というのが気分的なものであったにせよ、それには理由があると感じ、それをコラムにした(十分ではないにしろ)、というようなことを、山形さんは書いている。

 どんなタイプの人に読まれるか、ということを意識して書くという山形さんのことだし、文面にもあるように、これは、以下のような主張をする人々へ、ということだろう。

・自己責任論を否定する主張。 ・ボランティアやフリージャーナリストなりの高い理想を持って活動した個人に対して、自己責任を追及するのはけしからん、という主張。

 私も最初そうだった。脅されて傷ついて憔悴して帰国した人質へのバッシング(またはそれを結果的に強調したメディア)は、目に余るものがあった。
 実は、私の感情の中には、もう一つ、同じ北海道人ということがあった。イタリア人の人質事件より日本人の人質事件が気になるのなら、北海道人だからさらに気になる、助かって欲しいという気持ちが強いのはあたりまえだと、今でも思っている。

 それでも、少し冷静になり、山形さんのコラムをよみ、論理的に正しいと感じた。
 

個人の行動の自由を保障する限りは、何をしでかすかわからないわけだから、社会としては、個人の行動がどんな目的および結果にせよ、社会(個別の事件によって不定形ではあるが)の合意にもとづき、その個人のできる限りの責任を負わせなければならない、ってことだ。

 正しい正しくないというのは論理の世界だが、それでは割り切れない「気分」というものがある。だからこそ、山形さんは、費用を払いたくない気分の理由を説明しようとした。
 その根拠は、社会的リソースを減じる(かもしれない)行動の価値の問題である。現に各自の活動がそれほど効果が高くない、と論じている。

 だから、山形さんのコラムに反論したければ、反論したい「気分」の合理的な説明をするのがスジだ。

 ぼくは、自由と責任の問題について、「社会の合意にもとづき」という部分が是とすれば、結局問題は、社会の合意という『論理と気分の合わさったもの=「世論」』になると思う。世論でも世間でもいい。論理の方はあまり動かないものとしてみたい。じゃないと、話がこんがらかっちゃう。

 ここに2つ問題が出てくる。一つは、論理は自ら何も「起こさない」のだから、論理を実践することによってしか効果を持たない。この場合、自己責任をどう果たし、そして果たしたことをどう表現するか、というテーマだ。
 もう一つは、世論の背景となる「気分」をどう把握すればいいのか、という点。こんなもんは、オリコンチャートみたいなモノだから、どうにでもなっちゃう(ところが怖いのだが)という声もある。
 ただ、ただ、である。山形さんが気分にも一理あるゾというのだから、「あの3人をたたえて、自己責任に多少目をつぶっても、讃えたい!援護したい!」という気分にも一理あるかもしれない。
 まさにソコが、自己責任否定論者が主張すべき、表現の地平ではないか。

 前者の、論理の実践という問題は、起きてしまった事後であれば、「謝る」「費用負担をする」「再び同様の問題を起こさない」の3つだ。ただ、実は、事後の責任の帰結には、もう一つある。「命」だ。個人には政府が負った費用にくらべれば、あまりに微々たる「金」と「命」しかない。これは誰がなんと言おうと、ぼくの主張は正しいと思う(笑)。

 それを示してしまった最悪の結果が、橋田さん・今井さんの事件ではないだろうか。あの一件以来、だーれも取材していないはずだから、あの二人が生きて帰ってくれば、サマーワ周辺での取材リポートは、赤丸大スクープである。内容によっては、自衛隊撤退論者・自衛隊派遣容認論者のどちらかが決定的にダメージを受けるかもしれなかった。

 でも、それが得られたら日本社会の、まさに「社会的リソース」の構成要因になったはずである。
今井さんの手記に「感謝」を述べたのは、まさにぼくがリソースとしての価値を認めたからだ。

 図らずも、明かされた、ぼくの認めた価値。それは、人質をとった武装集団が、無謀な丸腰の日本人の若者に感じた、一種のリスペクト、あるいは微々たる同胞意識、のようなもの、それを伝えてくれたことに本当にささいではあるが、一つの希望を感じるからである。だから、彼らの表現、発言、理想を社会的に抹殺することは、許されないと思う。

■経済活動の自由、表現活動の自由
 そんな中、swan_slabにおいて、納得のいく説明があった。 自由と責任の適用範囲についてのコメントだ。
少し引用させて頂く。

「まず、社会生活において、山形氏の【自由には責任が伴う】が妥当する領域があることを確認しておきたい。それは、経済活動の自由です。」

「人質問題で問われているのは、取引の安全ではなく、表現活動の自由であり、幸福追求の権利であるはずです。
表現の自由や個人の幸福追求権というのは、私たちの立憲主義国家が根本価値として守ろうとしているものだから、財産権に関する私法上の権利義務のドライなルールに優越して、根本的な価値序列から規範的な判断をする必要がある。場合によっては、社会公共の利益に反してでも、個人の利益が尊重されなければならず、また、表現の自由の裏返しである知る権利のために、個人のプライバシーが弱冠犠牲にならざるを得ない場合だってある。」

 また感謝。そう考えると、さらに山形さんの責任論の及ぶ範囲が浮き彫りになる。彼らの行動を表現行動ではなく、経済活動のようにとらえていると考えると、すんなり読めるように思える。彼らの行動がもたらす(はずだった)価値は、否定論者がいうほどのものではない、という主張だ。

 戦場の情報、これは、ジャーナリストがそれを伝えてくれない限り、我々は知るよしもない。政府の発表だけで他に何もなければ、我々はただ、思考停止に陥る以外にない。

 その恐怖を克服するために、僕たちは、生死の境目におけるジャーナリズムやNGOの活動が最悪の結果に終わらないように、今、自己責任論にストレスを費やすより、新たなリソースづくりに向けて、歩み出さなければならない。それが、政府を無用とはしないが、少なくとも税金を通じて成されるわけがないことは、おそらく、明白である。
__________________
【追記】
3人のうちのひとり、郡山さんが京大でしゃべった。
 自己責任は、こうして伝えられていないことを自分の目で確認して、日本に帰って伝えることだという。

 一個人、一ジャーナリストとしては、これ以上の答えはないと思う。

 これを読んで大いに感じることが、ある。

 自衛隊派遣とイラクの治安問題へ世論の関心が高まり、それこそ政府の責任論が燃え上がるのを回避すべく、3人の人質と朴訥だった家族をスケープゴートとしていったのだとすれば、未納問題に関心が移ったのをいいことに、結果的にはある程度の成功をおさめたとはいえ、マスコミのふがいなさに、これほど腹が立つこともない。

 政治家が多少未納だって、国民年金加入者には関係ないだろう。自分のことだけ気にしてればいいのだ。

 抜本改革案だって通ることは目に見えていたし、「無視」して年金型生保にでも入って、社保庁批判をすれば良かったのだ。
 キャスター連中だって、庶民とはほど遠い高年収で、年金なんて貧乏くさいものをアテにしておらず、「国民は納得しませんよ」というフレーズが、真っ赤なウソだという、あったりまえのことを、わざわざ番組を休んだりしてまで明らかにしたに過ぎないのだ。

 話はそれたが、未納やら佐世保やらで、トーンダウンし、ついでに訪朝で矛先をかわしつづけているイラク問題について言えば、派遣継続の根拠、軍隊による人道支援の「費用対効果」が全くといっていいほど明らかにしないまま、ただ、「仕方ない」という風に流れる世論の空気を読んでついには「多国籍軍参加」を閣議も国会もなしに発言した首相にお灸を据えるしかない。
 参院選で自民にだけは入れないという決心もつくというものだ。今の民主党を頼りにするわけにはいかないが、少なくとも議席を減らすようなインパクトがなくてはいけないのだ。
 

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2004.05.23

今井君の手記を読んで。

手記 「人質」となって 今井紀明/中日新聞
なんで中日新聞が・・・。大丈夫か北海道新聞!?まぁ、それはいい。


 テレビでは、私たちの自己責任論が繰り返し論じられていた。その上、「自作自演説」や「ビデオ演出説」までが出てくることに「『死んで帰ってきてね』と言われていたのだ」と自覚した。何よりもつらかったのは、自分の存在と存在意義が自分自身で確認できなくなったことだ。悔しさと怒りがこみ上げる半面、「生きて帰ってきてよかったのだろうか」と感じる瞬間もあった。/「5.同じ空の下 虐殺と希望」

極端な自己責任論に対しては、当事者はこう感じざるを得ない。
あの状況で自業自得とか自己責任を追求するってことは、死んでくれと言っているに等しく、生きて帰ってきた場合は、金で解決せよと言っているに等しい。
イラクで感じた絶望と生まれたそだった日本に帰ってきた絶望という2つの絶望を感じた若者は、それでも、生まれた国の人々に向けて手記を書いた。

別れる直前に、彼らが言った言葉を思い出す。「われわれも別の道を探したい。アドバイスをくれ」。彼らも迷っていた。どうしても恨む気になれないのは、飛行機の音がするたびに震え、空爆のたびに誰かが死ぬイラクの現実を見てしまったからだ。私もこの地に生まれれば、武器を手にするしかなかったかもしれないと思う。/「4.『拘束者』から『客人』に」

自衛隊撤退を訴えていたことも知らされず、約束の期限を過ぎても解放されず、ほとんどその状況もわからず、ただ、米軍の爆撃音だけが聞こえる、そんな状況の中でも、拘束した犯人を恨まず、まして、自宅に戻ってなお罵倒されたあとにさえ、自分の信ずる「自己責任」を果たそうとする態度を持った今井君。
こういうピュアな彼だからこそ、ほとんど組織に頼らずイラクに飛んでいけたのだろう。

「危険だと外務省が言っている場所に行ったのだから、拘束されてもやむをえない。自己責任である。」
自己責任を言う論理は、少なくとも「論理上」は正しい。じゃ、いったい自己責任をどう表せばいいの?ってことは、これまでの種々の議論を見ても、まとまった答えはない。しかし、少なくとも何の組織もしょっていない個人にそれを追求するときには、「命」か「金」を意味することを教えてくれている。
さらに、こうやって希有な経験を「手記」にしてくれたことには、感謝したいと思う。

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2004.05.21

高遠氏のしたこと。

灼熱のイラク戦場日記 4月12日/Web現代

  マスコミは筑紫も田原もガタガタで、取材源を放棄した非戦闘地域の報道は激減。出てくるのは写ってるやつも撮ってるやつも狂った変態写真だけだ。人質事件はマスコミ的には終わり、次のスキャンダルをねらってる。

 そんな5月20日。

 アブグレイブも宇都宮も国会も所詮テレビの中だけの「お話」になっちゃった中、音声だけの原稿朗読。NHKから買って流す民放(高遠氏は、5月20日、北海道新聞とNHKに限定したインタビューを受けた。しかも、カメラなし、あらかじめ用意された原稿を読むという、異例の形式。)。

 やはり、理屈じゃないよ。どう考えたって痛々しい。

 Web現代もエロばかりじゃない。高遠氏の「決していばれたもんじゃあない」らしい、実績についてのルポを一部抜粋。

子供たちが高遠さんに寄せる信頼は、絶大なものでした。彼らはみな一様に口にします。「ナホコはいつ戻ってきてくれるんだ」、と。それがいかに大変で、大したことであるか、話を聞きながら考えていました。  ストリートチルドレンが他人に心を開くということは、容易なことではありません。偽物の善意はすぐに相手に伝わり、拒絶されてしまいます。全身でぶつかっていかないと、このような信頼は得られないでしょう。  聞けば、彼女は子供たちに食糧を持って来て、一緒に食べていたそうです。また、シンナーを吸っているのを見つけると本気で怒ってくれたそうです。  30分ほどの取材を終えた時、ナビールの顔が今度は怒りに震えていました。  どうした、ナビール? 「小野さん、私はこんなにイラクの子供のためにやってくれているナホコを誘拐した犯人が許せません。いますぐアルジャジーラに行きましょう」  アルジャジーラ? どうして? 「いま撮ったビデオを放送してもらうのです。そうしたらナホコを誘拐した犯人も絶対に後悔して彼女たちを解放するはずです。お願いです。一緒に来てください」  彼の真剣な表情を見て、わたしはとてもノーとは言えませんでした。  車でアルジャジーラの支局があるホテルへと向かう途中、アルジャジーラがこのビデオを放送することはないだろうと確信していました。子供たちのインタビューで高遠さんがどんな人だったかを伝えるというのは、残念ながら同局のニュース番組の枠からはみ出していることは明らかだからです。しかし同時に、そのような冷静な判断をしている自分を情けなくも感じていました。 (中略)  また同じくサマワで失業者を集めての懇談会を行った時のこと。  仕事が欲しいと一方的に主張する失業者に対して、高遠さんはまたもやキレたそうです。 「ふざけるな。あれくれ、これくれと言ってるんじゃなく、自分たちで主体的に動かなくてどうするのよ。今のあなたたちは物乞いと一緒よ」と。  その言葉に失業者たちは目覚めたといいます。 「そうだ、僕たちは物乞いじゃない」 「僕たちは自立したいんだ」  などの意見が上がり、最後はみんなで頑張ろうと変わっていったのだそうです。 「高遠さんは、人間のプライドを大事にしながら自立を勧めていくんですよ……」  そのビデオジャーナリストは語りました。

 一方、4月19日のルポでは、こんな恥ずかしい話もでている。ただし当の大使館員に裏付けは行っていない、とのことだ。

 じつは今日、わたしは彼ら日本人人質の解放に尽力した人物に会ってきました。そして日本人として非常に恥ずかしい思いを味わいました。  後の2人の解放に立ち会った日本の大使館関係者、彼に向かってなんと言ったと思います。 「日本政府はあなたがたの組織を通じ、ファルージャの人々に金を贈るか、街に対して経済的な援助をしたいのだが」  ですよ。  それに対して解放に尽力した人物はこう返しました。 「人質問題を金で解決したかのような行為は断る」  誤解しないようにしてくださいね。これって、解放前の交渉じゃなく解放時に交わされた言葉です。

自己責任論の「理論」に反駁できる「理論」は、おそらく、ない。
 しかし、いつから、こうもみんながみんな、昔懐かしい学園ドラマのくそまじめな学級委員みたいになっちまったのか?
 茶の間で鼻くそほじりつつノウノウとテレビを見てる小市民、おまけにこの事件でお足をいただいた似非文化人らは、なぜそんなにえらそうにできるのか?

 それが未だにもって、さっぱり、わからない。
 

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2004.05.15

山形さんの責任論。

自由には必ず責任伴う/朝日新聞

同い年で誕生日も近い(笑)、聡明かつ果敢な、そしてファンである山形浩生の責任論だ。まず、理屈としてはだいたい正しいと思うし、「戦略」のある議論を啓蒙するお言葉だ。
が、これを単に人質3名への批判として受け取ってはいけないのだろう。人質を擁護しようとした主張のふがいなさ、あるいは、ものの見方に対する批判なのだ。

確かにうかつなところはあった。彼らがイラクに向けて出国する頃に比べ、実際にイラクに着いた頃のファルージャの情勢が大幅にきな臭くなった、ということを考慮に入れても、だ。

しかし、考えてみると、イラク開戦後の貴重な爆撃の様子を伝えたジャーナリストだって、滞在先のジャーナリストが大勢泊まるホテルで、しかも、同盟国たる米軍の誤射によって「死」の一歩手前を経験した。その危険を承知して防御していたかどうか。ついでにその時の迫真のビデオはいくらで売られたのか。

人質の家族を責めたところで、あるいは自己責任の定義をしたところで、問題の解決になるわけもなく、そして世論がどんな風に揺れたって、助けないわけには行かなかった。政府は手の少ない中でも、努力をし、なんとか、3人は無事帰国した。もちろん、金もかかった。

さて、すでに起きてしまったことについて、責任論を適用する場合、人質および家族はどんな行動・発言をするべきだったのか?
あるいは擁護・反擁護の主張すべきことは何であったのか?

「危険を承知でのこのこと行って捕まったのだから、助けるな」:というわけにはいかないはず。
「危険を承知でのこのこと行って捕まったのだから、救出費用をまず出させよう。」:お金があつまらなかったら生きて帰れないの?
「危険を承知でのこのこと行って捕まってしまったのだから、政府に『助けなくてもいいです』と言えばよかった」:それは無理だ。犯人が許すわけがないしょ。
「あれは自作自演の可能性が大きいから、殺されるわけでないので、放っておけばいい」:違ったらどうするの?

・・・僕には、わからない。

ただ、人質に捕まって手足も縛られ、外出もできず、まさに「自由」がなくなったのだから、「責任」の行使のしようがなかったのは、間違いない。

そして、政府は人質救出後、法制化はしなかったものの、強く、「イラクへは絶対に行かないで欲しい」と言った。大手マスコミも、その要請の後、ずいぶんとジャーナリストを引き戻したはずだ。もう、誰も怖くて(いや、イラクもだけど日本の世論が・・・)行けないさ。きっと。
外務省も安全対策情報については、お手上げだ。

つまり、結論は、一つ。外務省が行くなという以上、個人の自己責任上、NGOだろうがジャーナリストだろうが、行ってはいけないということなのだ。

そうすると、これまでの私も含めた意見は、ほとんど、「後の祭り」に属することだったのである。
が、行っては行けないところのニュース映像が高く売れるのは確かだ。
今、この時、外務省が行くなというところに行っているNGO・ジャーナリストがいるかどうかは、わからない。ただ、何か起きたときて生きて帰ってきた日にゃ「大変」だ。

もう一つわからないことが、ある。自由には責任がつきものだが、じゃあ責任の大きさってあるのかどうか。
権力にも責任がつきまとうと思うが、権力と責任の比はどれぐらいが妥当なのか。

個人は個人の命と財産の範囲内、あるいは最大限一族郎党の財産の範囲内でしか、責任を「形や大きさ」にすることができない。もし、今回の救出費用20億円を請求されても、たぶん、払えないだろう。これは、いたしかたないとしか言いようがない。

これが、年金未納事件になると、もっとわからない。やめるべきか、やめざるべきか、はたまたとどまって「改革に全力を傾ける」のか、どれがそれぞれの責任の「形や大きさ」なのか。だいたいが、税金をむだづかいしてるわけではなさそうなので「金」に換算することもできない。
結局、これまでの様子を見るに、「世間」の顔色をどう感じるかで人それぞれ、としか言いようがない。そういう意味では、人質の家族は「世間」を見誤ったのかも知れないし、47氏は、「警察」を見誤った。

人それぞれを「価値観」という言葉で表現するが、価値観が多様化する現代では、自己責任も多様化するのかどうか。
人質事件では、「責任の形と大きさ」について詰まった議論がなかったので、子どもにもわかるように説明するのが難しそうでは、ある。
年金未納問題は、おそらく、誰も説明できない。47氏になると、だいたい著作権・P2Pから説明しないと行けない。(笑)

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2004.05.12

えらい!

人質事件の経費560万円 道、家族に負担求めず/北海道新聞
えらい!
タダでさえ財政は火の車、再建団体にならないよう、必死にがんばっている道庁だ。
はるみさん、懐が深い。よくぞ決断してくれた。
しかし、経費を公表するのは、いいことだ。やはり事件解決にはとても多くの人の労働があることが
よくわかる。中央のどこかのバカが、費用負担を求めろなどとほざいていたが、年金払って出直せや、といいたい。

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自衛隊イラク派兵差止北海道訴訟

自衛隊イラク派兵差止北海道訴訟
元防衛政務次官・郵政大臣の箕輪登さんが「自衛隊イラク派兵差止北海道訴訟」を起こしてずいぶんと経つ。
国際法における位置づけがしっかりと書いてあったのでその一部を引用する。
「米英等によるイラク占領政策は、国連安保理決議第1483号及び同第1511号を根拠として、総合司令部の下にあるCPAによって遂行されている。
 自衛隊は、占領政策の一環として、法的には占領軍の一員として、CPAの完全な指揮下に行動する。
 自衛隊には、占領軍の特権を規定したCPA命令17号が適用され、刑事・民事・行政のいかなる裁判権からも免除されている。従って、イラク市民をテロ勢力と誤認して射殺しても裁判はおろか、一時的な拘束も免れる。
 CPAの基幹は約11万の米軍であり、自衛隊はCPAの同意を取り付けて活動する。CPA占領政策の一端を担う以上、自衛隊の活動場所や活動内容の決定、変更、撤収等を、わが国独自の判断のみで行うことはできない。
 これは、どういうことだろう。スペインはCPAの同意があって撤兵したのだろうか。自衛隊はドンパチやってヤパイ事態になったとき、CPAすなわちアメリカに同意を取り付けて撤退できるのだろうか。CPAはイラク特措法を理解してくれてるんだろうか!?
イラク暫定行政当局のホームページ

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2004.05.07

あの記者会見は・・・?

現代リスクの基礎知識〜イラク人質事件 - nikkeibp.jp - 専門家の眼
 このコラムには、さすがリスク管理の専門家の視点が生かされていて、結構納得できるものがある。
 そうすると次に出てくる疑問は、あの人質事件発覚後の記者会見は、政府(外務省)との接触や下打ち合わせなしで行われたのだろうか?ということだ。つまり、人質の家族が「自衛隊撤退」を叫ぶことは、事前に把握できていなかったのか。
 この点、林氏も「通常会社員だったら企業が情報収拾などの窓口になる」と述べている。もっともだ。今回フリージャーナリストにボランティアだから、「窓口」すらなかった。
 情報が瞬時に世界を駆けめぐる現在、今後の海外人質事件では、丸腰で家族にお話させない方がいい。
 それと、北海道東京事務所が拠点を提供したことは、私は一つの「愛ある配慮」ということで賛同したい。しかし、応援FAXの番号を公表してしまった家族はもちろん、マスコミ対策が甘かった。

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2004.04.30

ファルージャの武装集団は、テロリストなのか。

ローマで人質解放求める数千人デモ、法王もメッセージ/読売新聞
イラクで相次ぐ外国人人質事件について、報道機関の多くは、「イラク武装勢力」という用語を使っているが、例えばベルルスコーニ政権は、「テロリストとは交渉しない」と言っていると報じている。
我が国が初めて自衛隊派遣をした米国の占領地域において、日本人の人質事件が起きたことで、間違いなく問題は政治的にも国際的にも国民の心情的にも極めて大きくなり、こうした問題に慣れていない日本が激しく動揺することになったのは間違いない。
ファルージャの武装集団は、米軍の撤退もしくは有志同盟の足並みの乱れをねらって人質事件を起こしたのは明白であり、イラクに戦争を仕掛けた理由およびファルージャにおける米軍のジェノサイドという事実から、世界が戦う「べき」ということになっているテロリストと同列に論じ、それが報道されるのは明らかにまずい。

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