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2005.04.17

追悼高田渡の夜。

 昨日、僕がドラムスをやっている「夷」のライブがあり、そこにでていた「快楽亭ブラック」のMCで、高田渡さんの訃報をきいた。ツアー先の白糠町で倒れ、釧路で亡くなったらしい。急遽追悼の意味をこめた1曲が演奏された。
 「夷」のリーダー北は「ショックだね。然し逝くべくして逝ったんだ。」といった。

訃報 高田渡さん56歳=フォ−クソング歌手の草分け
 日本のフォークの草分け的存在で「自衛隊に入ろう」「コーヒーブルース」などの曲で知られた歌手の高田渡(たかだ・わたる)さんが16日午前1時ごろ、北海道釧路市内の病院で死去した。56歳。葬儀の日取りなどは未定。
 68年に自作の反戦フォーク「自衛隊に入ろう」を歌って注目を浴び、翌年アルバムデビュー。フォーク草創期の中心歌手の一人。世相を風刺した明治、大正の演歌の歌詞や現代詩をアメリカ民謡のメロディーにのせてギターで弾き語りする独自のスタイルでオリジナル曲を作り、全国各地の小さな会場を回って歌った。代表曲は「生活の柄(がら)」「コーヒーブルース」など。電気が15アンペアまでしか使えない二間のアパートでの暮らしぶりなどを記録した映画「タカダワタル的」が昨年公開され話題になった。  高田さんはコンサートツアー中の今月4日、釧路市内で倒れて入院していた。
(毎日新聞) - 4月16日17時29分更新

 昨夜、Hall Spiritual Loungeで、6番目に出演した「夷」はそんなことを知ってか知らずかいつもより確実にパワーアップした演奏をできた。ひさびさに「いい汗」かいたライブだった。
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コメント

ちょっとショックです。
「いいとも」でのタモリとのトークが思い出されます。

詳しいことは何も知りませんが、
タモリが「渡ちゃん」とうれしそうに
話してたのでなんとなく親しみを持っていました。

投稿: HTA | 2005.04.22 19:37

久保さん、こんにちは。
ディランに誘われたとき行けばよかったと悔やまれてなりません。もはや僕には「タカダワタル的」を見るしかないですもの。

投稿: akiller | 2005.04.19 17:13

なんてこった。
私のHP『共犯新聞』トップに、市町村合併をめぐる朝日町サンライズ・ホールのゆらぎのことをUPしたばかりのことだった。
北海道新聞の夕刊に、カラー写真とともに「高田渡さん死去」。その写真が、最後のライブでの歌う姿となってしまった。
つい先ほどまで、このライブのあった日に死んだマンガ家・岡田史子の追悼記事を『共犯新聞』トップにUPしていた。
だから、「続けて追悼記事を書くのは嫌だな。」と思ってしまった。

でも、よく考えると私と渡さんが始めて会話を交わしたのは、1997年3月1日の朝日町サンライズ・ホールだった。
その時の目的の第一義はホール企画者の漢幸雄さんに会いに行くことだった。
漢さんは役場職員ながらコンサート企画に活発で有名だった。しかも、高田渡さんを呼ぶなんて、すげーセンスだ!と、私はピンときた。
当時、私の住む沼田町に、財政に見合わないぐらいにかなり高額な予算で「生涯学習センター」が作られる計画が起こっていて、
おそらくバブル崩壊後の最後の補助金バラマキであると思った私は、もっとも魅力的な「生涯学習センター」を運営していた漢さんに会いたかったのだ。
アポ無しで、ホール内にある朝日町教育委員会の事務所に行き、まだヒゲをはやしていない漢さんに会った。
「実は、私は沼田町で計画されている生涯学習センターのリサーチのために、ご意見をうかがいに来ました。」と私は自己紹介したが、半分ウソ。
漢さんの話はとても魅力的で、「重要なのはハード=ハコモノではなくて、企画=ソフト。
朝日町に生涯学習センターが計画された時、私は税金担当の役場職員だったんだけど、町長に80ページのラブ・レターを出したんだよ。
生涯学習センターは、こーすべきだってね。そしたら、じゃぁーそんなに言うならオマエがやれ、って言われてさ。」といった内容だった。

ステージ終了後、舞台袖にズーズーしく押しかけていくと、部外者の私をとまどったように見る渡さんと、ニコニコ笑っている漢さんがいた。
で、私が持って行った本にサインしてもらった。
その本は『フォークゲリラとは何か』(初版1970年1月1日)。今は有名な評論家だが、当時は早稲田大学3年生の吉岡忍のデビュー著作だ。
本の後半にまとめられていた「フォーク・ゲリラ集 プロテストソング選集」の渡さんの曲「自衛隊に入ろう」のページにサインしてもらった。
当時の渡さんは過去のトラウマからか、代表作であるにもかかわらず、かなり長い間、「自衛隊に入ろう」をあえて歌っていなかった時期だった。
最初、渡さんはその本を見て「ギョッ」としたが、しげしげと懐かしそうにページをめくっていた。
その本の推薦者といして、ベ平連の小田実の名前を見つけた同行者のギタリスト佐久間順平が、からかったように笑った。「うおっ、小田実だぜっ!」
本の表紙の絵は、当時まだ東京大学の学生だった橋本治による機動隊と、全共闘学生のデモ隊にかこまれた若きフォーク・シンガー。

それから数年後、渡さんは突然、再び「自衛隊に入ろう」をステージで歌いだした。
私は、それが良かったと思っている。生きているうちにご自身と和解できたのだとおもう。・・・私の邪推だが。

それからも、何度も渡さんのライブを見た。
朝日町のライブの翌年には、芦別市でディランの伊藤忠司さんたちが企画した野外イヴェント「ミュージック・ハーベスト98」でのライブが印象的だ。
会場内を自由にフラフラ歩いている渡さんと、顔を合わせるたびに、二人してボソ&ボソと話したり。短いラブ・ソング「アイスクリーム」を歌ったり。

最後のライブ会場も4月3日夜の、釧路管内白糠町「白糠町社会福祉センター」だった。企画したのは同町の普通の町民の、池村美博さんだ。
朝日町、芦別市、白糠町。渡さんを聴いてきた人たちが、それぞれの「現場」でたくましく生きていて、そこへひょっこりと渡さんが現れる。
その「現場」の人たちは、渡さんがギターを持ってやってくるたびに、自分たちの「現場」への誇りを少し高めたのだろう。きっと。
そんなことに対して渡さんは声高に訴えたり、熱く主張をしたりはしなかった。でも、ちゃんと私(たち)は気がついていた。

デビューLPの時から「今日は若い人ばかりだから・・・」と、年寄りぶっていたが、まだまだ56歳。永遠の56歳。


久保AB-ST元宏(2005年4月16日 7:20Pm)

投稿: 久保AB-ST元宏 | 2005.04.18 09:50

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» 高田渡さんの訃報を聞いて〜風が吹いていたあの頃 [暗くなるまで待てない]
高田渡さんが亡くなったと知ったのはYahoo!のニュースだった。あれは90年代初めの頃だったか....。ぼくは一度だけだが、同じ席で高田渡さんと酒を飲む機会を得たことがある。場所は吉祥寺『のろ』。大塚まさじのライヴの後。そこにはギターの神様中川イサトもいた。そのと...... [続きを読む]

受信: 2005.04.17 23:43

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