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2005.03.09

■中央公論「安心・安全」の氾濫が作り出す不安

0503 知る人ぞしる中西準子(独)産業技術研究所化学物質リスク管理センター長だ。女史の原稿が中央公論にでている。もともと、尊敬する柳田邦男の記事が出てて買ったものだが、思わずハタと膝を打ったことがあったので書いておきたい。

 この問題はいっておくけど深い。山形浩生の今では語り草になっている朝日新聞のbeに載った例のアレにも通じるし、宮台真司のこの話題にも通底すると思うのだ。
中西はいう。

つまり、安心・安全は国や企業が国民に与えるべきものであり、そういう社会的責任を負っているという考えが強くなったことである。そして、皮肉なことに、このことが国民の不安をかえって大きくしているとしかおもえない。

 その理由として、三つあげることができる。ひとつは安全には際限がないことからくる問題である。・・・ふたつ目は「安心」という個人の心が大きく関係することが政策目標に入ってしまったことからくる問題である。

 ・・・三つ目は構造的な問題である。・・・つまり、安心・安全を国や企業が国民に与え、国・企業の右側に、安心・安全政策を補助する大学や外郭団体などの支援機関があり、左側に国などの政策の不十分さを指摘する政治家・マスコミ・NGO・大学教官などの知識人集団の情報管理組織があり、国民は、それらの庇護の下にあるという構造である。 

 ・・・右側の集団は、不安が大きいほど、国からの発注が増え、資金的に潤うをいう構造を持っているし、左側の集団も、”売れる、有名になる、組織の存続が保証される”ことから、不安を煽る傾向が強くなる。

 一番、問題なのは、国民をだしにしてうるおう右側と左側の集団かも知れない。なぜなら、国民にとって知らぬが仏でいいことまで、声を大にしていうからだ。そのくせ、大事なことはオブラートの中だ。
 確かに情報がなければそれこそバッファをとらざるを得ないかも知れない。問題はその後だ。完璧に安全とかいうことは幻想なのに、また、十分安全だ(リスクが測定不能なレベルに下がった、あるいはリスクそのものが十分排除された)と確認された後は、驚くほど扱いは小さい。

引用を続けたい。

多リスク社会(私が考えるに、リスクが知られてしまった社会では)で危険情報は国民の危機回避のために重要だが、今や多すぎて、昨日は牛肉を避け、今日はマグロを避けるが、また、いつの間にか戻るという生活をしているという人が多い。・・・総体としては、それらのもたらす恩恵は、その負の影響よりも大きく、日本人の寿命はこの100年、特にここ60年ぐらいの間に倍程度までのびている。
   要は寿命が延びたという、これ以上はない恩恵を受けながら、昔は、たいして不安もなく気楽だったなーという国民がまだいるということなのである。まだこれだけなら問題ないが(隣近所レベルではない)、それが世論となったら目も当てられない。その事象が実は枚挙にいとまがないのである。

 思い出すだけでも(現在進行形も含む)いまいましい。

  • おれおれ詐欺、いまは振り込め詐欺。(なんでおれおれというだけで振り込むかなぁ)

  • クレジットカードのスキミング。(なんで海外旅行行ったときにカード預けるかなぁ)

  • 所沢のダイオキシン。(これは私自身もだまされた。しかし、巨額の公共事業に化けたなぁ)

  • 地下鉄サリン事件。(これは、逆にリスクを過小評価した結果起きた事件だった)

  • 薬害エイズ事件。またはミドリ十字他事件。(偉い先生もリスクを過小評価した)

  • 環境ホルモンで♂が♀化する?(立花先生。落とし前付けてよ。)
  • そもそも我々の業界で、「防護柵のジレンマ」と呼ぶ、まあ、単純な話、防護柵つけると管理責任が問われるから、自然に近いまんまにしておきましょう、と事なかれ主義を通そうという話がある。他業界でも同じような話はいくらでもあるだろう。PL法もできたしね。

     それは一例一例は、一定のリスクがあることを上手に話せない、受け手側も慣れてない、という話にすぎない。しかし、それがお上の方針になっちゃうと、それが拡大して、規制緩和も手の届かない暗黒の世界がくるかも知れない、というのを頭のすみに是非置いておこう。

     そこへ来て、例のBSEがらみの全頭検査の一件だ。我が国最初のBSEのごたごたに乗じて例の焼却処分を覚えてる人も多いんじゃないかと思う。北海道では検査官の自殺者まででた。これは別なとこで思わずミソついたけど、焼却処分は、当初は、必要なことだった。情報がすくなければ、疑わしきは罰する方針だ。
     その後、例の全頭検査が実施される。実際中西が言うには、全頭検査をしてもリスクは0.07頭当量程度しかあがらない。これはココで言ったとおりだ。

     人の心は、おいそれと元通りになるものじゃないからこそ、ある程度消費者にもリスク管理の視点がかかせないんじゃないかなぁ。

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    nakanishi環境リスク学—不安の海の羅針盤 中西準子著
    日本評論社

     

     

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