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2004.06.03

札幌駅の屋根が世界デビュー。

JR札幌駅ホーム屋上のデザイン NYのコンテストで銀賞/北海道新聞

JR_roof.jpg
Art Directors Clubは、1920年から活動する歴史のあるNPOだ。
そのADCが主宰する83回目のアニュアル・アワーズで12,000のエントリーの中,数十点の金賞・銀賞などを選んだ。

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2004.06.02

ついに飛び火、十勝池田食品へ。

池田の十勝ハンナンを家宅捜索 全同食ルート 役員ら2人逮捕/北海道新聞
十勝ハンナン(株)は、ハンナン(株)の子会社である。1987年に前身の十勝食肉(株)から牛肉加工部門を独立させ、88年に、十勝池田食品(株)を池田町他11者が出資する第三セクターとして設立。
十勝ハンナン(株)に続き、同容疑で十勝池田食品(株)も家宅捜索を受けた。
道内では、JR車内はもちろん、あちこちの物産店でも売っている「十勝ワインビーフ」がおなじみだ。
「十勝牛」「十勝ワイン」と並び、全国的にも有名になった池田町のブランドでもある。
牛肉偽装事件はいわゆる公金詐欺であり、それ自体、消費者と納税者を愚弄した悪事ではあるが、日本の食肉業界のトップ企業に捜査のメスが入り、コトによってはそれにとどまらない広がりを見せる可能性がある。

・ハンナン捜査に関するメモ(Perape)
http://perape.hp.infoseek.co.jp/memo/000/0418_hannan.htm
・大阪、人民新聞社の記事
http://www.jimmin.com/2001b/page_107.htm

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2004.05.31

自己責任パート2

 「今井君の手記を読んで」において、『自己責任を言う論理は、少なくとも「論理上」は正しい。』と書いた。読み返すと、じゃあ何のための論理か、というところには思いが至ってなかったようだ。少し考えたので追記する。

 橋田さん・小川さんの悲しい事件もあり、自己責任を巡る議論、あるいは山形浩生の責任論を巡る議論が広報部部室でも盛り上がっているが、数日アクセスしなかったし、割り込むのも難しいので、ROMと決め込んだ。

 部室では、危険を顧みずに飛び込み、とらわれの身となった3人ないし5人によって、救出費用等々の社会的リソースが減少させられるのが許せない、というのが気分的なものであったにせよ、それには理由があると感じ、それをコラムにした(十分ではないにしろ)、というようなことを、山形さんは書いている。

 どんなタイプの人に読まれるか、ということを意識して書くという山形さんのことだし、文面にもあるように、これは、以下のような主張をする人々へ、ということだろう。

・自己責任論を否定する主張。 ・ボランティアやフリージャーナリストなりの高い理想を持って活動した個人に対して、自己責任を追及するのはけしからん、という主張。

 私も最初そうだった。脅されて傷ついて憔悴して帰国した人質へのバッシング(またはそれを結果的に強調したメディア)は、目に余るものがあった。
 実は、私の感情の中には、もう一つ、同じ北海道人ということがあった。イタリア人の人質事件より日本人の人質事件が気になるのなら、北海道人だからさらに気になる、助かって欲しいという気持ちが強いのはあたりまえだと、今でも思っている。

 それでも、少し冷静になり、山形さんのコラムをよみ、論理的に正しいと感じた。
 

個人の行動の自由を保障する限りは、何をしでかすかわからないわけだから、社会としては、個人の行動がどんな目的および結果にせよ、社会(個別の事件によって不定形ではあるが)の合意にもとづき、その個人のできる限りの責任を負わせなければならない、ってことだ。

 正しい正しくないというのは論理の世界だが、それでは割り切れない「気分」というものがある。だからこそ、山形さんは、費用を払いたくない気分の理由を説明しようとした。
 その根拠は、社会的リソースを減じる(かもしれない)行動の価値の問題である。現に各自の活動がそれほど効果が高くない、と論じている。

 だから、山形さんのコラムに反論したければ、反論したい「気分」の合理的な説明をするのがスジだ。

 ぼくは、自由と責任の問題について、「社会の合意にもとづき」という部分が是とすれば、結局問題は、社会の合意という『論理と気分の合わさったもの=「世論」』になると思う。世論でも世間でもいい。論理の方はあまり動かないものとしてみたい。じゃないと、話がこんがらかっちゃう。

 ここに2つ問題が出てくる。一つは、論理は自ら何も「起こさない」のだから、論理を実践することによってしか効果を持たない。この場合、自己責任をどう果たし、そして果たしたことをどう表現するか、というテーマだ。
 もう一つは、世論の背景となる「気分」をどう把握すればいいのか、という点。こんなもんは、オリコンチャートみたいなモノだから、どうにでもなっちゃう(ところが怖いのだが)という声もある。
 ただ、ただ、である。山形さんが気分にも一理あるゾというのだから、「あの3人をたたえて、自己責任に多少目をつぶっても、讃えたい!援護したい!」という気分にも一理あるかもしれない。
 まさにソコが、自己責任否定論者が主張すべき、表現の地平ではないか。

 前者の、論理の実践という問題は、起きてしまった事後であれば、「謝る」「費用負担をする」「再び同様の問題を起こさない」の3つだ。ただ、実は、事後の責任の帰結には、もう一つある。「命」だ。個人には政府が負った費用にくらべれば、あまりに微々たる「金」と「命」しかない。これは誰がなんと言おうと、ぼくの主張は正しいと思う(笑)。

 それを示してしまった最悪の結果が、橋田さん・今井さんの事件ではないだろうか。あの一件以来、だーれも取材していないはずだから、あの二人が生きて帰ってくれば、サマーワ周辺での取材リポートは、赤丸大スクープである。内容によっては、自衛隊撤退論者・自衛隊派遣容認論者のどちらかが決定的にダメージを受けるかもしれなかった。

 でも、それが得られたら日本社会の、まさに「社会的リソース」の構成要因になったはずである。
今井さんの手記に「感謝」を述べたのは、まさにぼくがリソースとしての価値を認めたからだ。

 図らずも、明かされた、ぼくの認めた価値。それは、人質をとった武装集団が、無謀な丸腰の日本人の若者に感じた、一種のリスペクト、あるいは微々たる同胞意識、のようなもの、それを伝えてくれたことに本当にささいではあるが、一つの希望を感じるからである。だから、彼らの表現、発言、理想を社会的に抹殺することは、許されないと思う。

■経済活動の自由、表現活動の自由
 そんな中、swan_slabにおいて、納得のいく説明があった。 自由と責任の適用範囲についてのコメントだ。
少し引用させて頂く。

「まず、社会生活において、山形氏の【自由には責任が伴う】が妥当する領域があることを確認しておきたい。それは、経済活動の自由です。」

「人質問題で問われているのは、取引の安全ではなく、表現活動の自由であり、幸福追求の権利であるはずです。
表現の自由や個人の幸福追求権というのは、私たちの立憲主義国家が根本価値として守ろうとしているものだから、財産権に関する私法上の権利義務のドライなルールに優越して、根本的な価値序列から規範的な判断をする必要がある。場合によっては、社会公共の利益に反してでも、個人の利益が尊重されなければならず、また、表現の自由の裏返しである知る権利のために、個人のプライバシーが弱冠犠牲にならざるを得ない場合だってある。」

 また感謝。そう考えると、さらに山形さんの責任論の及ぶ範囲が浮き彫りになる。彼らの行動を表現行動ではなく、経済活動のようにとらえていると考えると、すんなり読めるように思える。彼らの行動がもたらす(はずだった)価値は、否定論者がいうほどのものではない、という主張だ。

 戦場の情報、これは、ジャーナリストがそれを伝えてくれない限り、我々は知るよしもない。政府の発表だけで他に何もなければ、我々はただ、思考停止に陥る以外にない。

 その恐怖を克服するために、僕たちは、生死の境目におけるジャーナリズムやNGOの活動が最悪の結果に終わらないように、今、自己責任論にストレスを費やすより、新たなリソースづくりに向けて、歩み出さなければならない。それが、政府を無用とはしないが、少なくとも税金を通じて成されるわけがないことは、おそらく、明白である。
__________________
【追記】
3人のうちのひとり、郡山さんが京大でしゃべった。
 自己責任は、こうして伝えられていないことを自分の目で確認して、日本に帰って伝えることだという。

 一個人、一ジャーナリストとしては、これ以上の答えはないと思う。

 これを読んで大いに感じることが、ある。

 自衛隊派遣とイラクの治安問題へ世論の関心が高まり、それこそ政府の責任論が燃え上がるのを回避すべく、3人の人質と朴訥だった家族をスケープゴートとしていったのだとすれば、未納問題に関心が移ったのをいいことに、結果的にはある程度の成功をおさめたとはいえ、マスコミのふがいなさに、これほど腹が立つこともない。

 政治家が多少未納だって、国民年金加入者には関係ないだろう。自分のことだけ気にしてればいいのだ。

 抜本改革案だって通ることは目に見えていたし、「無視」して年金型生保にでも入って、社保庁批判をすれば良かったのだ。
 キャスター連中だって、庶民とはほど遠い高年収で、年金なんて貧乏くさいものをアテにしておらず、「国民は納得しませんよ」というフレーズが、真っ赤なウソだという、あったりまえのことを、わざわざ番組を休んだりしてまで明らかにしたに過ぎないのだ。

 話はそれたが、未納やら佐世保やらで、トーンダウンし、ついでに訪朝で矛先をかわしつづけているイラク問題について言えば、派遣継続の根拠、軍隊による人道支援の「費用対効果」が全くといっていいほど明らかにしないまま、ただ、「仕方ない」という風に流れる世論の空気を読んでついには「多国籍軍参加」を閣議も国会もなしに発言した首相にお灸を据えるしかない。
 参院選で自民にだけは入れないという決心もつくというものだ。今の民主党を頼りにするわけにはいかないが、少なくとも議席を減らすようなインパクトがなくてはいけないのだ。
 

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