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2004.11.29

■この国の失敗の本質/柳田邦男

はじめ、柳田邦男の「脳治療革命の朝(あした)」を読んでえらく感動して、柳田さんのファンになってしまっている。有名な「犠牲(サクリファイス)」は二十五歳で自殺した次男の壮絶な実話だが、実はまだ読んでいない。

さて、「この国の失敗の本質」だが、中に収められてられている、「ゼロ戦コンセプトの成功と失敗」に興味が引かれた。一見重い話題と感じるかも知れないが、設計思想の中にアメリカと日本の決定的な人間に対しての思想の本質というか、今のこの時代にも変わらない日本人の習性がわかっておもしろかった。

さわりを引用すると、 「戦争というのは国と国との武器を使った戦いですから、大変悲惨なものですけれども、これを純粋に技術的な視点から見た場合には、殺し合いとは別の、平和時の経済戦争や技術開発競争にも共通する局面が見えてきます。・・・従って兵器を調べれば、その国の持つ技術とその背景にある思想の特質というものを掴める。しかも相互に技術封鎖をした戦時の工業製品であるがゆえに、帰って日米それぞれの国柄の特質というものがそこから純粋な形で浮かび上がってくるのではないかというのが、私の視点です。」

日本の当時の航空史
1931年:航空技術自立計画→1932年:7試艦戦計画→1933年:不採用→1934年:9試単戦計画→1936年:96式艦戦採用→1937年:12試艦戦計画→1940年:零式艦戦採用→1942年:17試計画→1945年:(量産開始で終わる)

アメリカの当時の航空史
1935年:XF4F計画→1937年:不採用→1938年:XF4F計画改定→1940年:F4F採用→1942年:XF6F計画→1942年:F6F採用→1943年:XF8F計画→1945年:F8F採用

背景

  • 1931年の航空技術自立計画は、欧米先進国に追いつこうとする必死の計画でフランス・イギリスからのパテント購入に頼っていた航空機づくりを純国産にする計画だった。

  • 9試単戦が設計されたとき、当時山本五十六少将が航空母艦の滑走路にあわせて単戦を設計してはいかん、戦闘機の性能を先に出してそれにあわせて航空母艦をつくればいいと命令した。

  • 9試単戦のもう一つのポイントは徹底した軽量化。桁でも部品でもいたるところに穴をあけた。

  • その結果、全金属製で時速400キロを達成した。当時の世界の標準は時速300キロ。当時海軍航空技術蔽のリーダーだった前原中将が涙を流しながら「先進国にいる思いがする」といったのは有名な話。

  • 9試単戦を元につくられた96式艦上戦闘機は実戦でも日中戦争の時戦闘機30機をほとんどおとしてしまうなど、欧米水準を抜いた日本の航空技術史にとって重要な転機となり、海軍に航空機に対する自信を抱かせることとなった。
  • 日米の違いのポイント

  • 日本は設計性能要求で、つまりスペック至上主義で、速度、上昇性能、航続力、旋回性能、離着陸性能、武装の六項目。速度を上げるためには馬力のある重いエンジンを使わなくちゃならないし、重くなると旋回性能がを落ちる、航続力を増すためには大変な重量増加になるなど、相矛盾した性能を要求した。

  • さらに注目しなければならないのは、機体の強度や防弾が全然考慮されていなかったということ。パイロットの命を守る対策が二の次にされたことを意味する。

  • それに対してアメリカはグラマン社製のF4Fワイルドキャットのときから、機体強度と防弾を重視したものになっていた。

  • F6Fが機体の強度にそうとうの力点を置いていたのは一撃離脱の航空戦仕様になっていたということ。ゼロ戦は一対一の思想。これに対して一撃離脱というのはまず敵が来襲してきた場合、それより必ず高い高度を保っておき猛烈な急降下で一撃するということ。一撃したあとは可能な限り速くもう一度上昇して敵より有利な高度にあがる。猛烈なGがかかるので剛性をできる限り高めておく必要がある。すばしっこいゼロ戦相手に有利に闘うためにあみだされた戦法。

  • 防弾は二つの種類がある。一つはパイロットの背後を守ること。二つ目は燃料タンクを防護する技術でタンクの周りをゴムでシーリングして弾丸が貫通してもゴムがピタッと閉じてしまう。パイロットというのは訓練機関が長くそういうパイロットが死んでしまったのでは、飛行機を一機失うより下手すれば高く付く。これが日米の決定的な違い。

  • 日本側はパイロットは次第に消耗品になってきて、空中戦をやって不時着して助けてもらえなくてやがて鮫にくわれてしまう。アメリカの場合は空中戦が大規模にやられているところには潜水艦をおいておく。救助のために飛行艇や潜水艦で探索する。

  • 日本側はそんな調子で優秀なパイロットがいなくなって、死んでもただで帰るな自爆しろという戦陣訓の元、どんどんデフレスパイラル状態で終わりは未経験と変わらない学徒動員をゼロ戦に乗せた。

  • ゼロ戦のコンセプトは一騎打ちを前提にした。これは日本側の勝手な思いこみ。相手が一騎打ちをしてくれなかったらどうするかなんて考えにない。それに対してアメリカは、相手を良く研究して合理的に対策や戦法を考えてくる。墜落したゼロ戦の完全な機体がアリューシャン列島で発見されて以降、完全に弱みを握られた。

  • 加えて日米の大きな違いは、大資本に支えられた技術と資源の有無である。グラマン社だけじゃなく、ゼネラルモーター社、フォード社も航空機をつくっていた。その頃日本では古ぼけた煉瓦の繊維工場で全然生産技術を知らない学徒動員がつくっていた。アルミは1944年頃は東南アジアから入ってきたが、海上輸送がうまくいかなくなっていき枯渇した。その他の希少金属も同様である。

  • アメリカではOperations Reserchで、作戦を検討した。477回特攻攻撃を受けた戦艦は36回撃沈されたが大きい戦艦と小さい戦艦は逃げ方が違うことを発見した。日本軍は隊員がとにかく肉弾でつっこめという指示をしていた。
  • 人の命は地球より重いなどと観念的なことをいうわけじゃないが、悲しすぎる。アメリカがそれこそOperations Reseachを使い物理学、統計学を駆使して特攻隊の機体一つ一つを調べて、どういう高度・角度で飛び込んでいったかを知るデータになっていたらしい。

    今思うのは、リコール逃れの某大手自動車メーカーのことである。それはゼロ戦の機体をつくっていたメーカーと同じ系列だからというわけじゃない。安全性が組織上も技術上も二の次だったということに関してである。

    それともう一つ。21世紀になっても実は変わったように見えて実は日本の組織が変わっていないんじゃないかということ。オウム真理教、阪神大震災、薬害エイズ、東海村臨界事故、といった大事故・自然災害ばかりじゃない。過労死、うつ病による自殺、そしてイラク人質事件、そこには、人命というか人間の尊厳軽視の思想がある。

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    コメント

    >安全性が組織上も技術上も二の次

    ■書物に限らないことですが、優れた思索活動には、普遍的に指標として使える「視点」がありますよね。

    >柳田邦男の「脳治療革命の朝(あした)」を読んでえらく感動して、柳田さんのファン

    ■昨年の夏のakillerさんの貴重な体験が、柳田邦男の「再発見」になったのだと思います。
    つまり、普遍的な「視点」であっても、そこへのアプローチは、超「個的」であるということ。
    その普遍と個的のスムーズな往復がいつもできるように準備運動(?)をしておきたいものです。

    ■ところで、今度の日曜日、柳田邦男が下記の様な講座で講演をすること、ご存知ですか?
    私は主催者からもメールをいただき、『共犯新聞』1面Topに紹介いたしました。
    実は、そこでakillerさんのこの柳田邦男をめぐる文章を引用させていただいております。
    事後承諾で恐縮ですが、お時間のある時にご確認くださいませ。

    第11回 隠岐学セミナー ~「生きる」~

    場所;島根県 隠岐の島町 隠岐島文化会館
    期間;2005年4月10日(日) 12時30分より受付
    内容;今回で11回を数える隠岐学セミナー。今回のテーマは、「生きる」。
    講師;おなじみの松本健一に加え、ノンフィクション作家の柳田邦男を招き、二本立ての開催。

    参加費:1000円(テキスト代含む) ※交流会有り 交流会参加費5000円

    柳田邦男の隠岐学セミナー演題 『「人生の答」の出し方』=人の生き方が問われているのは、どんなときだろうか。それに対し、どんな「答」があるのか……

    投稿: 久保AB-ST元宏 | 2005.04.08 23:29

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