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2004.04.30

ファルージャの武装集団は、テロリストなのか。

ローマで人質解放求める数千人デモ、法王もメッセージ/読売新聞
イラクで相次ぐ外国人人質事件について、報道機関の多くは、「イラク武装勢力」という用語を使っているが、例えばベルルスコーニ政権は、「テロリストとは交渉しない」と言っていると報じている。
我が国が初めて自衛隊派遣をした米国の占領地域において、日本人の人質事件が起きたことで、間違いなく問題は政治的にも国際的にも国民の心情的にも極めて大きくなり、こうした問題に慣れていない日本が激しく動揺することになったのは間違いない。
ファルージャの武装集団は、米軍の撤退もしくは有志同盟の足並みの乱れをねらって人質事件を起こしたのは明白であり、イラクに戦争を仕掛けた理由およびファルージャにおける米軍のジェノサイドという事実から、世界が戦う「べき」ということになっているテロリストと同列に論じ、それが報道されるのは明らかにまずい。

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本を読むのが遅いので、3週間あまりかけてようやく「歴史の終わり」を読了した。この3週間の間にリアルは当然動いているわけだ。平成16年5月6日現在の「今」の様子を... [続きを読む]

受信: 2004.05.06 20:14

コメント

akillerさん、

お返事遅くなりまして申し訳ございませんでした。

どう、お言葉を受け止めていいのかまだ分かりません。感じられることだけ、コメントさせてください。

ただ、多分ファルージャの向こう側にいる人たちも、われわれと対して変わらない人間たちがいるのは、事実です。あとは、彼らとどうかかわるかという問題で、中身はほっといて外形的にどういう行動をするかだけ予想して道具のように使うのか、そばにいってあげて行動をともにするののか、日本にいながら共感だけはすのか、...

でも、昨晩、自分のいる場所について書きましたが、人にはかならずその人のいる場所があります。いるべき場所、とかいいません。ただ、いる場所です。そんな気がします。

あの、ちなみに国際関係の専門家をブログに引き込みました。議論でもふっかけてやってください。

http://blog.livedoor.jp/k_omori/

ちなみに、かれがどれくらいするどい感覚をもっているかは、このコメントをみてください。

http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/05/post_3.html#c234722

投稿 ひでき | 2004.05.10 21:47

もう一つ、アメリカにも911以降の大政翼賛傾向に違和感を感じるばかりか、これまでの米政府の欺瞞を冷静に見つめようとする人が出てきたのはうれしいことです。
日本ばかりでなく、アメリカでも政治への関心は低下していると思いますが、そうすると、私を含む日本の「無党派層」も米国の「無党派層」も日常はなんの政治的関心を持たなくたって平気だが、有事や重大な政治問題においては、メディアに操作されやすく、揺れ動く人々になっちゃってるんですね。この場合揺れ動くというのを私はネガティブにとらえていませんが、我々の政治的関心などは、軽く、情報量の多少によって簡単に変わっていきます。そんな風だからこそ私はBlogをやって、自分の考えや関心を記録してみようと思ったわけです。
現代の政治問題は、政治的信念(もしくは役得)にとりつかれた人々は無党派層に比べて圧倒的に少ないのですが、その政治的信念や関心がいかに他方から見て奇妙でも、継続性と行動力によって政治を動かしていくという、主体の見えない独裁制のようなことではないか、と感じています。
そこで、揺れ動きながらも偏向しすぎないために、カウンターメディアとしてのインターネット(2ちゃんねるも含む。笑)や非西側メディア、独立系メディアの重要性を感じます。
・・・いかにも相対主義的ですかね?

投稿 akiller | 2004.05.07 07:50

ひできさん、こんにちは。
実は僕も何かりっぱな考えがあって書いているわけではないですが、日本は、一応、アジアで唯一の先進国としてなぜか西側と見られたりもするのですが、その背景には政治ではなく、奇跡的に成長した経済があったのはほぼ確かです。
21世紀になり、日本は政治の部分でも西側風の一人前をわりと純粋に目指そうとしているように見えます。乱暴な言い方をすれば、イラクへの自衛隊派遣は、そのための踏み絵のようなものではないか、と。あるいは某半島の独裁国家を想定した安全保障問題における取引材料かな?
政治は理屈より経験・実績が優先しますから、旧態依然とした平和主義で問題が解決するわけでないことも理解しているつもりです。
しかし、これまで見てきたイラクの問題は、どうも戦争のための戦争という疑念がぬぐえないのです。
非常な独裁者から人民を解放したはずの米軍が一方で過激で非人道的な虐待者になってしまっているという恐怖のパラドックスも顕在化しています。
こういう話をしている私自身、西側のメディアで育ってきて、これまたアルジャジーラという「向こう側の視点」によっていとも簡単に考えが修正されたりもするわけですが、そんな風に修正される日本人が多いのなら、完全に西側の理屈で生きていっていいわけがないという考えがあり、そうすると似非アジア・似非西欧というニッチに居場所を確保できないか、世界にほとんど類をみない変わった国として自分たちの哲学やら政治理念やらを確立できないか、などと思ってみたりするわけです。

投稿 akiller | 2004.05.07 07:28

akillerさん、

ああ、なんか考えてみると興味の方向が似てますね。同年代だからなか?こっちにも、トラックバックとコメントさせてくださいね。

そーなんですよね、単にもう外交、防衛問題というだけでなく、それをどう国内の国民が受け止めるかって言う問題になるんですよね。これまでも外交は内政の延長だったし、内政と切り離された外交、防衛はまあ存在しなかったんですけど、ここんとこそのリンクがますます密に、かつ、軟弱になってきている気がします。

しかも、日本だけじゃなくて、米国だって決して国民は戦争慣れなんかしていない。ヴェトナム戦争のモニュメントでも行って見て下さいよ(って、akillerさんにじゃなくて、日本と米国の政治家にいいたいんですけどね)。どれだけたくさんの人が兵士たちの死をいたんでいるか。誰も自分の身内が死ぬのなんて見たくない、というのがフツーの感覚だと思います。そういう、現代風の軟弱かもしれないけど、みんなが共通にもっている感覚って大事だと思います。

民主主義って、一応主権はその国の国民が持っているということですからね。大統領選挙なんて、革命の代替機能みたいなもんじゃあないですか!

ああ、すみません。また、人のところへ来て、言いたい放題してしましました。

投稿 ひでき | 2004.05.06 20:23

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